令和8年佼成6月号 会長先生ご法話に寄せて

苦しみも人生の友

〇苦悩は自らつくっている

 私はこれまでみなさんに、しばしば「コップに水が半分入っているとき、それをどのように見るか、受けとるか」という問いかけをしてきました。著述家(ちょじゅつか)の小林正観(こばやしせいかん)氏は、「半分しかない」と不平不満で見る見方、「半分も入っていてうれしい」と喜ぶ見方、「だれかが半分残してくださった。ありがたい」と感謝で受けとる見方があるといいます。ただ、どの見方・受けとり方も、そのような意味づけをしているのは自分であって、事実は「コップに水が半分入っている」ということだけ。不満を感じるのも喜びや感謝で受けとるのも、すべて「私」自身の心だというのです。

 「私」は何度もこの言葉を聴き、「コップの水が半分入っている」という見方をして、感謝の気持ちを持ちながら、日々生活すれば「大丈夫」だと受けとめてきました。

 確かに小さなころは体が弱かった私が今も健康に生活できていることに毎朝「ありがたい」と心底感じます。家庭でも、仕事先でも、教会でもたくさんの方に支えられています。

では、まったく苦しみがないのかというとそうではありません。息子のことが案じられたり、自身のこれからが案じられたりするのです。不満を感じるのも「苦しみ」を感謝と受け取るのもすべて「私」自身。今ある命に感謝して、日々、感じられる「苦」から何を学ぶのか?「苦」を「友」とできるように精進することが感謝につながる唯一の道だと感じました。

〇苦も人生の大事な一瞬

~中略~

とはいえ、つらい現象を無理に前向きに受けとめようというのではありません。ものごとを多面的に見るということ、そして、どれほどの苦 悩も無常(むじょう)の真理や縁起(えんぎ)の教えに照らして見れば人生のめぐりあわせや必然であって、しかもそれは、たとえば幼子(おさなご)が大人へと成長していくような創造的な未来へも結ばれるものです。少し時間がかかっても、苦悩を生きる糧(かて)や喜びに変える力が私たちにはあるのです。

 私自身が、本当に物事を多面的に見るということができているか?というとそうではない自分に気がつきました。私はいつも一人で何とかしようとしてきたのだと思います。私が自分自身で抱え込まずに「苦」を分かち合うことが「私」の修行であり、自身を変えることだと思います。「苦」があるからこそ、御法の縁に触れる機会ととらえることで「創造的な未来」へつなげるのではないかと思います。今の私にできることはしっかりと先祖供養をしていくことだと思います。  

合掌

大津支部 E.K

(太字は会長先生のご法話6月号より引用)

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