心を耕し、仏に戻る
〇仏性の自覚を深める
「たった一回でも心を耕(たがや)せば、二度と苦しみ悩むことはない」と受けとめるのは、少し虫がよすぎるかもしれません。日々、心の土壌(どじょう)をやわらかく耕すような言葉や行ない-菩薩行(ぼさつぎょう)-を繰(く)り返すなかで、そのつど自分のなかの仏、すなわち仏性(ぶっしょう)を掘り起こすことが、苦悩の少ない人生につながるのだと思います。
ある一瞬、仏と同じ性質を持つ自他の尊厳(そんげん)に気づいたとしても、また疑問がわく。忘れてしまう。しかし、困っている人を見て「なんとかしたい」と思いやるような機会があると、仏性そのものの自己であることを思いだして、その自覚が深まる。そうしたことの繰り返しが大切なのです。
開祖さま入寂会の月にブログのお手配をいただきありがとうございます。心田を耕すという言葉は何度も聞いてきました。それは素直で正直にならないとなかなか耕せないのだと思います。一つ一つ目の前に起こって来ることを受け止めご指導をいただき、繰り返し積み重ねることが大切であると実感しました。そしてそれは終わることはないけどそのことが苦悩の少ない人生につながる。それは苦がなくなることではなくて、苦があることによって自分が高まっていけるのだと気づかせて頂きました。
〇慈悲心が仏性を掘り起こす
少しずつ仏性の自覚が深まるなかでも、不都合なことがあると、私たちはつい愚痴(ぐち)を吐(は)いたり、怒ったり、人に心ない仕打ちをしたりします。また、そのような思いやりのない自分と、仏性の自覚に立ったじぶんとの隔(へだ)たりを恥(は)ずかしく思って、悩む人がいるかもしれません。
それでも、「仏性の自覚なんて、私には無理だ」などと卑屈(ひくつ)になる必要はありません。昔の高僧でさえ「大悟(たいご)十八遍、小悟(しょうご)は数を計(はか)らず」というくらい、気づきと反省を繰り返しながら、つねに「仏のように生きたい」と心を耕しつづけられたのですから、むしろ恥ずかしいと感じて気づいたその思いが、成長や向上の足がかりになるのです。そして何より大事なことは、「一切衆生悉有仏性(いっさいじゅうじょうしつうぶっしょう)」ということをかみしめられる人間として生かされている有(あ)り難(がた)さに感謝し、やさしさと思いやりを忘れないことだと思います。
今、いただいているお役のおかげさまで慈悲心が生まれ、にがてな人に対しても触れる勇気をもらっています。お役がなかったら自分からかかわりをもとうとは思えません。教えのおかげさまで自分の壁をこえる努力をすることができているんだと気づかせて頂きました。そして相手の仏性を拝むことによって自分の仏性に気づけるのは少しずつ仏さまに近づけていると思うとありがたくてうれしくなりました。
合掌 近江八幡支部 K.T
(太字は会長先生ご法話10月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。