みんなで奏でるハーモニー①
分断と調和
〇行くところのない私たち
いつの世にも、自分の思いどおりにならないからと不満を募らせ、対立する人を憎(にく)み、おのれの利益(りえき)のためなら調和など歯牙(しが)にもかけずに、相手を打ち負かすことも国や社会の分断さえいとわない人がいます。とくにいま、世界のあちこちで繰(く)り広げられている現実を見ると、人として大事なことが忘れられている気がしてなりません。
その大事なことの第一は、私たちはみな、あらゆる因縁(いんねん)のなかでお互いに生かし生かされあっているという理(ことわり)です。
昔はというと古くさいと言われるでしょうが、一昔は子どものためには親はがまんしてでも、食事、学費と一生懸命働いていたと思います。
でも、今の世の中、自分が遊びたいとか、簡単にお金がもうかる方法があれば悪いことであってもそれに飛びついていく。
人の心の弱いすき間につけこむ世の中がかなしい。相手のことを思いやる心が忘れられていっていて、きけんに思います。
みんな 持ちあわせている、やさしさをとりもどしてほしいです。
〇自灯明・法灯明を胸に
開祖さまは、この涅槃寂静を具体的な表現で、「おたがいが愛しあい、おもいやりあって、遅れるものは手を引き、力の足りないものには力を貸し、つりあいをとりながら、いっしょに歩く。人類全体がこういう生きかたをすることができれば、生々(せいせい)はつらつたる創造と進歩の生活のなかに、しかも大きな安らぎを味わうことができる」と記しています。このようにありたいと願う自らの心を拠(よ)り所(どころ)とし(自灯明(じとうみょう))、この世の理を拠り所として(法灯明(ほうとうみょう))、身近で困っている人を助けたり声をかけたり、とくに縁もない人びとの窮状(きゅうじょう)にも心を寄せて、自分にできることを実践する。それが、寂静の世界をめざす一人ひとりの「平和行(へいわぎょう)」といえるのです。
相手を思いやること。3年前雨の日娘の家の前の階段ですべり転到、左足首を骨切してしまいました。3年たった今でも、孫が雨が降った日には、さっと手をさしのべてくれ、私の身体をささえ「ばあば、ゆっくり歩きや、こけたらあかんで」と声をかけてくれます。
やさしい心をもって育ってくれている孫を喜び、祖母として自分も人のため、人様のお役に立つように生き、孫のよき縁になっていきます。 合掌
近江八幡支部 Y
(太字は会長先生のご法話11月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。
