信じて仰ぐということ
〇「信仰」とは
開祖さまは、「真実の人間の生き方を教えるのが信仰だ」と述べています。これは、人間の生活や精神、生き方の根本を教えるのが宗教であり信仰だという意味で、その基本中の基本が、まさに「自分の命の尊さと、人間として生まれてきた有(あ)り難(がた)さを知ること」だと思うのです。
昨年、我が家に新しい生命の誕生、 一週間後には義母とのお別れと、うれしさと悲しさと複雑な心境でした。
このブログのお役を支部長さんから頂いた時は「拝」と言えたものの心の中では忙しいのにかんべんしてよという思いでした。しかし、ご法話を読みこんでいくうちに、ご先祖様から頂いた尊い命のリレーがしっかりとつながれていると感じたのです。この現実をみつめると、義母そしてだれ一人が欠けても私自身、子、孫は存在しないという人間として生まれてきた不思議、奇蹟を感じずにはいられませんでした。
私も初期高齢者、長年私の体を支えてきてくれた足が悲鳴をあげつつありますが2本の足で立てる事歩かせて頂ける事、お役を頂いたお陰様で気づかせて頂いた事に感謝し善薩行に歩かせて頂きます。
〇時代の変化に惑わされず
大切なのは小手先の手立てではなくて私たちが仏道の根本である徹底した慈悲(じひ)と思いやりの心で人さまとふれあい、いざというときに心の支えになれる一人ひとりになることです。 そこに、なんともいえない安心感があれば、もともと信仰心を宿しているだれもが、おのずと「真実の生き方」に導かれていくのです。
お陰様で娘も母親になり、日々悪戦苦闘しながら子育てを頑張っています。
私は心配をするあまりに色々な言葉をなげかけていたのです。 すると突然「もっといいアドバイスをくれるかと思っていたのに心配させるような事ばかりを言う」とおこって帰ってしまいました。 娘の言葉にハッとさせられました。私のなげかけている言葉は不安をあおるような伝え方しかしていなかった事に気づかされたのです。そして、子を思う親心が娘にあるのを感じた瞬間でもありました。私自身、色んな苦難、困難がありましたが信仰のあるお陰様、サンガの皆さんの支えのお陰様で乗り越えてくる事ができました。これからも沢山の出会いがあると思います。相手の心に寄り添い安心して頂けるよう思やりの心でふれあっていけるよう精進させて頂きます。
合掌 湖北支部 M.E
(太字は会長先生ご法話4月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。