佼成11月号より
○敬う心を発達させてる
開祖様生誕会の月にブログのお役を頂き、ありがとうございます。
今月は青年部が担当をいただきました。
今月のご法話の中の『自分を敬うことが出来ない人は、人を敬うことはできない』というお言葉について、私自身にも、自分を敬する(大切にする)ことができているのかと問いかけてみました。息子が生まれ1日1日が一瞬で過ぎ去っていくと、どうしても家族を優先して自分の心も身体も後回しになりがちですが、結果的に家族をはじめ周りの方に迷惑をかけてしまっており、自分自身を大切に出来ていないのではないかと気づかせていただきました。
現在頂いているお役のおかげさまで、たくさんの方に出会い、想いや考えに触れ、『敬う心』をたくさん育ませていただいておりますが、これからもその方たちや今後出会うかもしれない方たちとのご縁を大切にするためにも、まずは私自身を大切に心を喜ばせること、心を豊かにすることで周りの方たちへの『敬う心』を発達させていければと思わせていただきました。
執筆者 青年部K
◯出会いは心の栄養
親子といえども一人ひとり個性があって、それぞれに違いますから、そうしたことをお互いに感じあえたら、親は子の個性を尊んでいけばいいのだと思っています。そして親は、言うこととやることに違いがない「言行一致」の姿勢を忘れないこと、それが親子がともに敬する心を育むあり方だと思うのです。
敬すると言うと、私たちはその対象としてつい「上」のほうにばかり目を向けがちです。ところが、自分と横並びの人や年齢が若く経験が自分より浅い人も、敬する心を養ってくれる大切な方々だということです。大事なことは、相手の個性を認めて、その長所・美点に感応し、称え、見習うことであって、それが自他の敬う心を育てるのです。そのように受けとめると、すべての出会いが敬する心を育てる栄養で、それは常不軽菩薩の礼拝行にも通じるものだと思います。
今、2歳の息子を子育て中ですが、息子の行動を「良い、悪い」で判断してしまう自分がいます。例えば、歯ブラシを持ちながら走り回ったりして危ないよと注意をしますが、自分自身の行動を振り返ってみると歯磨きをしながら歩いたりしてる私が居る事を思い出しました。子どもが行動してるその姿は、親である私自身の姿でもある事に気付きました。
子育てと言いますが、親もまた子どもに育てていただいていると思うと、年齢関係なく全ての方から学ばせていただく姿勢が大切だと感じました。
執筆者 青年部H
合掌
(太字は会長先生ご法話11月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。