「故郷」に帰る私たち
〇開祖さまのご入寂
最古の仏教思想を伝えるといわれる「スッタニパータ」の、「田を耕(たがや)すバーラドバージャ」と題する一説のなかで、釈尊(しゃくそん)がバラモンに対して述べられた詩偈(しげ)を、私は拙著(せっちょ)『心田(しんでん)を耕す』においてご紹介しました。今年の本欄では、その詩にそって私たちの精進(しょうじん)や心のあり方を考えてきたわけですが、詩の終盤に「耕作(こうさく)はこのようになされ、不死(ふし)の実りをもたらす」とあります。その流れで先月、私たち人間の生命(せいめい)についてお伝えした最後に、私は「不死」とは何を意味するのかと、みなさんに問いかけました。そこで、まずは死に対する率直な考えを述べてみたいと思いますが、その前に開祖さまの臨終(りんじゅう)の際の様子をお話しします。
平成十一年十月四日の午前十時三十四分に、師父(しふ)でもある本会の庭野日敬(にわのにっきょう)開祖がその生涯を閉じました。きょうだいや家族が開祖さまのベッドを囲み、教団の方々がやや遠巻きに見守るなかでの、静かな旅立ちでした。私は直前まで、目をつぶって床(とこ)につく開祖さまの右手を握っていたのですが、開祖さまが閉じていた目を大きく見開いて、ベッドを囲む私たちを、まるで一人ひとりと別れのあいさつを交(か)わすかのようにゆっくりと見まわし、再び目を閉じたつぎの瞬間、気がつけば、開祖さまは息を引きとっていたのでした。
私は、この会長先生の問いかけて下さり教えを聞かせて頂きながら恥ずかしいことですが、死がとても怖いです。誰しもこの世を去らなければならないと頭ではわかっているのですが・・・・
まだまだ心がともなわず、また明日があると思ったり、もっとこの世の中を見たいと思う欲があります。開祖さまのように、みんなに見守られて息を引きとられたように、私もそうなりたいと思わせて頂きました。
〇「不死」とは―
「ふるさと/そこから出てきた私/ふるさと/それは私の還(かえ)って/いくところ」(東井義雄(とういよしお))。私が昔から愛誦(あいしょう)している詩です。先月述べたように、私たちの生命(いのち)は、過去から永遠の未来へと大河(たいが)のように滔々(とうとう)と流れつづける「大いなるいのち」という「ふるさと」に帰っていく―そのように受けとめると、死に対する不安が和(やわ)らぐように思います。
さらに私についていえば、安らかに生命(いのち)の故郷(ふるさと)へ帰っていった開祖さまの姿を見届けたことで、「ああ、あのように死んで行けたらいいなあ」と、落ち着いた気持ちで死を受けとめられるようになった気がします。私には理想にも思える開祖さまの最期(さいご)のありようが、死への恐れを乗り越えるという意味の、「不死の実り」を与えてくれたのです。
「不死」とは、死なないことではありません。いつまでも生きていたいといった、けっしてかなうことのない儚(はかな)い望みがもたらす苦から解き放たれて心が楽になること、それを「不死」といい、「不死の実り」と私は受けとるのです。
そして私たちは、仏の教えを学ぶことで、現実に「不死の実り」を手に入れることができます。その一つは、無常(むじょう)の教えを心に刻(きざ)み、死を乗り越えるということです。死も、生滅変化(しょうめつへんか)する自然の営みの一つと得心(とくしん)することです。また、法華経(ほけきょう)において「仏のいのちは永遠」(仏寿無量(ぶつじゅむりょう))と説かれていますが、その認識に立てば、仏性(ぶっしょう)そのものといえる私たちは死んでもなお、仏の「大いなるいのち」と一つになって永遠に生きつづけるという安心が得られます。さらに法句経(ほっくぎょう)では、「つとめ励むのは不死の境地である」と教えています。日常の小さなこともおろそかにしないで重ねた精進は、「幾多(いくた)の因果(いんが)の連鎖(れんさ)によって影響は無限にひろがり、死ぬことがない」(中村元(はじめ))というのです。
菩薩行(ぼさつぎょう)をはじめとする私たちの日ごろの行ないが、時間や空間を超えてどこまでも影響を与えつづけるということです。また、そうした生前の生き方や人柄が人びとの胸中(きょうちゅう)で生きつづけることも、「不死」の一つの形だと思います。
おかげさまで、釈尊(しゃくそん)が入滅(にゅうめつ)された齢(とし)を六つも越えさせていただけたいま、私が開祖さまの入寂(にゅうじゃく)や「不死の実り」の味わいを知って思うのは、「いつ故郷(ふるさと)に帰ってもいい」と心おだやかにお話しできる、この幸せにほかなりません。
私は子どもたちに、お母さんはこんな人だった、こんな料理がおいしかったと死んだあとに言ってもらえるような親でいたいと、最近思うようになりました。毎日の家事がマンネリしかけそうになっていたことが、日常の小さなこともおろそかにしないで重ねた精進は、「幾多の因果の連鎖によって影響は無限にひろがり、死ぬことがない」(中村元)さんのお言葉に感動し、家事一つひとつをよろこんでさせてもらい、次の子どもたちに命のバトンを渡していく私になりたいと思います。
合業
日野支部 S・O
(太字は会長先生ご法話8月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。