柔和な人の、心は自由
〇牛の軛(くびき)を離す
田を耕す牛に装着(そうちゃく)した軛という装具を農作業を終えて牛の体から外すときに萌(きざ)すのは、牛に対する「きょうもよく働いてくれたなあ。ありがとう」という感謝といたわりの気持ちに違いありません。それが「やさしくおだやかな様子を意味する「柔和」の一語に凝縮(ぎょうしゅく)され家族の一員である牛を農夫が思いやるように、すべての人が「やさしくおだやかであれ」と願われた釈尊の思いもまた、この一節にこめられていると思うのです。
日々生活している中で会員さんには家族の方へ「ありがとう」を言えてますか?
「感謝」の心が大切です、と伝えています。
自分の事となると心から「ありがとう」と言える時と形だけで言っている時がある事に気付かせて頂きました。
他人には心から感謝の思いで伝えられるのに、いざ家族となるとやはり甘えがでるのか、本性が出るのか、中々素直に伝えられないことがあります。
「やさしくおだやかな」心に、いつも自分がなれることを目指します。
〇とらわれを離れれば
「至道無難」(しどうぶなん)とは禅語の一つで「真実に至(いた)る道は何も難しいことはない」という意味です。ただ一つ、あれが好きとか嫌いとか、あれこれと自分の思いにとらわれなければそれでいい、それが仏道だということです。
開祖さまは柔和について「はじめは形だけのニコニコ主義でもかまいません。しいて柔和を心がけていれば自然とそれが精神に溶けこんでしまう」と述べていますから、仏のように柔和で自由な人になりたいと念じながら、ものごとをできる限りにニコニコ顔で受けとめてまいりましょう。
私は食べ物の好き嫌いが激しいのです。入会当時「食べ物の好き嫌いはそのまま人の好き嫌いになってるよ」とご指導頂いたことがあります。
ずいぶん長い間悩みましたが、その事にとらわれている自分に気付きました。苦手意識がある時は認めて反省して良いところを探す努力をしています。
いつもニコニコ顔で受けとめられる私になります。
合掌
大津支部 K・I
(太字は会長先生ご法話5月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます