今月の会長先生のご法話は「自分を思いやる」です。
〇心が傷つきやすい時代
洋の東西を問わず、人は昔から「自分に厳しく、人にやさしく」あることを美徳(びとく)としてきたように思います。しかし、最近では「人にやさしく、自分にもやさしく」というあり方が必要だともいわれるようです。なぜなら、心に傷を負って苦しむ人が、以前よりずっとふえているからです。
この度、定例の支部会議でこのお役を頂きました。まさか、、、私がこのようなお役を頂くことになるとは思いませんでしたが、今一度、自分やこの社会を見つめ直す良き機会となりました。コロナ禍前は、教会で拝読させていただき、教会長さんから分かりやすくお言葉を頂き、自分に置き換えて理解し噛み締めて私の周りの人達に接する事が出来ておりました。
ココ最近は、目を通して深く噛み締めることまでには至っていなかった。と、勿体ない事に気付く自分と周りの関係各者への配慮の乏しさを反省しました。このブログのお役を頂きましたことで、いろいろと自分自身を振り返ることが出来ました。本会の会員である事に心より感謝いたします。改めて5月のご法話を拝読させていただきながら私自身に置き換えました。
確かに以前とは、心が傷つきやすい時代だと思います。私の幼少のころから社会人になり、しばらくまでは、傷つくと言うよりは、学んでいることだから、頑張らなければならないという前向きに考えるようにしておりました。
このままだと、当たり障り無く生きて行く方法を選ぶ人が増え、閉塞人社会となり、本来、人が持っている良きコミュニケーション能力が活かされない。また、この社会と協働する生き方を一人ひとりがどのようにすれば良いのか。楽に生きる事は成長を妨げる。失敗を如何にも体験したように思うことで理解は深まります。また、自分を責めないで、自分にとって思いやりをもって現象と、向きあう―セルフ・コンパッションという考え方に心したいと思います。
これまでの佼成会会員諸先輩方から教わった事を自らが真似る。真似るは学ぶである事を教わりました。
〇自分が元気になることで
自分を思いやるというのは、たとえば何か失敗をしたときでも、そのできごとを否定的に見ないで、「こういうことはだれにでもあることなんだ」と大きな受けとめ方をしたり、「この経験は私の財産になる」と前向きにとらえたりして、一方的に自分を責めたり罰(ばっ)したりする感情に支配されないことです。ものごとの善(よ)し悪(あ)しを一概(いちがい)に判断する見方から離れると冷静に事象(じしょう)と向きあえますし、そこにあるのは悪いことばかりではないと気がつけば、心は楽になるはずです。
ただ、「自分を思いやる」という表現は自分を甘やかすことのようにも聞こえて、自己を律(りっ)する仏道精進(しょうじん)などとは正反対のあり方だと思う人がいるかもしれません。しかし、自分を思いやるというのは、つまるところ自己と冷静に向きあって唯一無二(ゆいいつむに)の自分と出会い、心の調和を保(たも)つことで、それは私たちの精進にも通じます。その意味でいうと、私たちは日々、心の健康法を実践しているともいえるのです。
(佼成5月号より引用)
私は支部壮年部の皆様には、様々な配慮に感謝しております。私は常に明るく元気で周囲の方々と触れ合うことで、自身を認めて頂いていると思っております。なので、これまで通り引き続き笑顔絶やすことなく、まず「自分」が明るく元気になって思いやりの輪を広げていくことが大切と教えて頂きましたので、回りの方々と共に修行精進させて頂くことをお誓い申し上げます。
合掌
湖北支部壮年部N・Y
(太字は会長先生ご法話 佼成5月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。