2月会長先生ご法話に寄せて

今月の会長先生のご法話は「他人事」を「自分のこと」にです

〇「慢心」や「おごり」に気づく

 老いも病も死ぬことも、それを自分のこととして受けとめるのはだれしもいやなものです。いつまでも、それらが他人事(ひとごと)であってほしいと願うのが人情なのかもしれません。

~中略~

 釈尊はしかし、そのように思ったことは、若さや健康や命をいただいていることに対する「おごり」であったと反省されます。「若さ」を誇り、「健康」に甘え、「命あること」を当たり前と受けとめてその意味を知ろうともせず、いたずらに老病死(ろうびょうし)を嫌う―そうした考えの誤(あやま)りに気づかれ、ご自身の「おごり、高ぶり」を省(かえり)みられたお言葉が、「三つのおごり」というお諭(さと)しとして経典に残されているのです。

 日々の生活の中で、如何にも知ってる・分かってる・やってると、うぬぼれて自分を過大評価し、思い上がった態度を取っている事があります。先日も、とある事で「そんな偉そうにしなくてもよいやろう!」と、子供から言葉が返ってきました。相手を怒らせてしまったり、傷つけたりしている自分があります。また、そう云うおごり高ぶっている時に限って失敗したりと、ミスを犯してしまいがちです。固定観念や自分の考え方に固執せず、相手の良い部分を吸収して、取り入れる謙虚な姿勢が大切である事を改めて教えて頂きました。

〇真に健康な人生を

 経験を重ねると、私たちは人の気持ち、とくに人の悲しみや苦しみがよくわかるようになるといわれます。それは、人間が成長するということですが、私はそれを仏に近づいていくことでもあると受けとめています。ですから、命のありようやその有り難さに早く気づくことが大切なのです。

 一昨年の十月、父が腰椎の一か所を骨折。その後遺症で大腿骨に神経痛が残り、介護認定4の要介護必要となり、ベットと車椅子の生活となりました。ご法話の中にある「健康ですごせることの有り難さ」を父の姿を通して教えて頂いているように思います。通院等の付き添いのお世話をさせて頂く事が今、私が出来る親孝行です。一年前に比べると少しずつではありますが、回復の兆しが伺えます。些細な事かも知れませんが、その進歩が自分のことの様に嬉しく思います。感謝と喜びで日々を送り、以前から教えて頂いている「ひとつ・ひとつを丁寧に。真心を込めて」接していきたいと思います。

                            合掌

近江八幡支部 N.H
(太字は会長先生ご法話 佼成2月号より引用)当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。