5月会長先生ご法話に寄せて

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父母あればこそ

〇「母の日」と「父の日」

  ただひたすら家族を愛(あい)し慈(いつく)しむ母親の思いと、子どもの父親に対する尊敬の念が、父母それぞれに感謝をあらわす日を起こさしめ、しかもそれがいま世界各国で制定されている―この事実は、家庭における慈愛と尊敬と感謝こそ、人の心を育て、人をつくり、だれもが誇りをもてるりっぱな国を築く基盤となることを示しているように思えます。
 その意味でも、父母への感謝をかみしめる日は、かねてお伝えしている「父は子の尊敬の的(まと)でありたい。母は子の恋愛の座でありたい」という先達(せんだつ)の言葉とともに、親のあり方を見直す大切な機会といえるかもしれません。

 会長先生のご法話を拝読させて頂き、思い出すのは三年前に亡くなった母のこと、五十二歳と若くして亡くなった父のことです。母は九十歳と長生きして下さいましたが、やはり、心配しかかけてこなかったと、申し訳なさを感じます。13年前から、主人と母との三人暮らしをさせて頂き、少しは親孝行ができたかと思います。母の日、母の誕生日などは、少し気持ちのこもったプレゼントを贈らせて頂きました。でも、若くして亡くなった父には、これといったプレゼントをした記憶がありません。今は父と母にさせて頂けることは、毎日の心からのご供養と思わせて頂きます。

親孝行は宇宙と結びついている

 そうすると、父母の縁によって生まれた私たちではありますが、孝行の考え方も親孝行のあり方も、単に親を大事にして孝を尽くすとか、感謝の贈り物をすることだけにとどまらない見方、つまり仏の教えにも通じる「大いなるいのち」の流れのなかで受けとめることが大切な気がします。
 ただ、間近に迫った「母の日」や「父の日」についていえば、恥(は)ずかしながら、両親に感謝の思いを伝えたり贈り物をしたりした明確な記憶が薄い私なのです。家内が用意してくれた花などを夫婦で贈ったことはありますが、私はむしろ親に反発ばかりして素直になれなかった記憶のほうが鮮明で、その意味では、貝原益軒と同じ江戸初期の学者、中江藤樹(なかえ とうじゅ)のつぎのような考えに救われる思いがします
「親への孝養(こうよう)ということは、単に自分を産んでくれた一人の親を大事にするというだけではなくて、自らの親への奉仕を通して、実は宇宙の根本生命に帰一(きいつ)することにほかならない」(『真理は現実のただ中にあり』/森信三・致知出版社)

 今は父も母も他界しましたが、その父と母にもお父さん、お母さんがおられます。そのまた先にもお父さん、お母さんとご先祖様がいて下さいます。長い年月をかけて、過ぎて、今の私が存在することが、それがどれだけ尊い事かと思わせて頂きます。これからもご先祖様への感謝を深め、菩薩行をさせて頂き、自分の心磨きをさせて頂きたいと思わせて頂きます。今回、ブログのお役を頂き、ありがとうございました。

合掌     甲賀支部  K.E

(太字は会長先生ご法話5月号より引用)

当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます。