心やすらかに、おだやかに生きる
「こんなふうに生きられたら。」
青葉が雨に洗われて、ひときわ目に映(は)える季節が、もうすぐやってきます。ただ雨は、湿度と気温の上昇とともに心までじっとりと濡らして憂鬱(ゆううつ)にさせられたりもしますが、私たちはせめて心だけでも晴れやかでありたいものです。
~略~
おだやかに、のびやかに、しなやかに、そしてすこやかに。
このように生きられたら、ほんとうに心はいつもすっきりと晴れやかで、安穏(あんのん)ーーとらわれも憂(うれ)いも煩(わずら)いもないやすらかな日々を送ることができるに違いありません。
釈尊(しゃくそん)は、私たちを安穏の境地に運ぶのは「精進(しょうじん)」と教えてくださっています。したがって、精進を重ねるなかに、そうしたやすらかな日々があると受けとめることができますが、では、その精進とは具体的に何を指すのでしょうか。
今回ブログのお役に声をかけて頂いた時に、素直に受けられない私でした。その後、よく幹部から「先ず、ハイと受けると幸せになりますよ」と教えて頂いたことを思い出しました。最終的に「努力してみます」と返事をした反面、素直でない私を反省しました。
向上を願う気持ちがあれば。
仏教は「無上(むじょう)の教え」といわれ、この上なくすばらしい教えとも受けとれます。ただ、私たちはそれを有り難く拝(はい)するだけではなくて、どれほど学んでも上限のない教えと受けとめて心を耕しつつ、学んだことを日々に実践する。それが、私たちを安穏に導く精進だと思うのです。宗教は、身をもってする行為に具体的にあらわれてこそ意味がありますから、やさしさや思いやり、明るくあたたかな対応など、学んだ教えを日常の所作(しょさ)一つ一つに活かすことが精進となり、そうした一瞬一瞬の積み重ねが心安らかな日々をもたらすのです。
会長先生のご法話を何度も拝読させていただく中、数日前から主人の行動が許せなくて、最低限の会話しかしていなく心が重くなっていました。
そんな中主人から「一緒に散歩に行こうか?」と声をかけてもらいました。私は少し迷いましたが気持ちを切り替えて「うん、わかった」と行動に移すことができ、とらわれていた心が少し晴れやかになり、会話も少しづつ増えてきました。
感謝と喜びをもってとりくむこともりっぱな精進で、つまり自身が向上を願いつつ、その志にしたがって日々を送るところにそれぞれの「精進」があり、それが悦びとやすらぎをもたらすと思うのです。
行動に移せたのも、お役をいただけたおかげさまです。
この体験を通し、相手の心が救われて頂けるよう心を寄せさせていただきます。そして又私自身、素直になれるよう休まず精進させていただきます。
合掌
湖南支部 S・M
(太字は会長先生ご法話6月号より引用)
当月の会長先生のご法話はこちらからご覧いただけます